古くは「古事記」にも登場する比婆山、
その裾野に位置する比和町、
豊かな自然と様々な遺跡や伝説、
周辺にはスポーツや宿泊施設など
充実した施設が整っています。
吾妻山の水芭蕉
〒727-0301広島県庄原市比和町比和792番地
TEL0824-85-7111 FAX0824-85-7110
http://www.hiwa.jp
四季折々様々な風景を楽しむことができます。
新緑の吾妻山
もぐらのキャラクター
「ヒワちゃん」は
比和町のシンボルマーク、
お土産にボクの土鈴はいかが?
町の花 コブシ
幻の渓流魚
ゴギ(天然記念物)
吾妻山(標高1239m)
草花高山植物の宝庫で、天然
の芝や池、ブナの原生林があります。吾妻山の景観はタタラ製鉄と放牧により現在の景観になりました。晴れた日には山頂から日本海や宍道湖、大仙が望めます。伊邪那岐命が比婆山に眠る妻、伊邪那美命を山頂で「ああ吾が妻よ」と追慕したことから、この山の名前がついたとされています。
比婆山御陵(標高1264m)
古事記に「伊邪那美命・・・比婆の山に葬りき」と記されていることから比婆山御陵は伊邪那美命の墳墓であると伝えられ古来より信仰を集めています。
比婆山は古くからタタラ製鉄が盛んに行われており、この地が古事記に登場するのも、その由縁と思われます。県の史跡「比婆山伝説地」に指定されています。
福田頭(標高1252m)
滝の観音
登山道沿いには「一の滝」「二の滝」「三の滝」そして「昇竜の滝」があります。ブナ樹林帯が広がり、手つかずの自然が残る山です。約4時間の行程で、中級者以上にお勧めです。近くには観音堂のある「滝の観音」もあります。登山情報や休憩は、総合運動公園の「かさべるで」へどうぞ。
昇竜の滝
庄原市立比和自然博物館
●所在地:庄原市比和町大字比和1119−1お問合せ:庄原市比和支所教育課●電話:0824-85-3005 ●入館料:大人300円 子供100円
庄原市立比和自然博物館には10万点をこえる動物、昆虫、植物の標本が収蔵されていて、中国山地の情報発信源として大きな役割を果たしています。
とりわけ、モグラ類のすべてをここで調べることができるので「モグラ博物館」の愛
称で親しまれています。外国のモグラ類が見られるのは日本ではこの博物館だけです。比和町郷土文化保存伝習施設の常設展示と併せて中国山地の生き物たちと
ふれあってください。
町の木 ブナ
(ブナ純林:天然記念物)
食事・宿泊施設
かさべるで:電話(0824)85-2230
食事処しごんぼ:電話(0824)85-2226
食堂:11時〜14時30分・17時30分〜22時
(日曜日:20時まで)食堂:木曜日休・泊無休
かさべるで:1泊2食:7,000円〜 P100台
比和温泉あけぼの荘電話(0824)85-2528
入浴料大人:300円
入浴:13時〜21時・入浴無休
休日:月曜・第一日曜日素泊:3、150円
田園
電話(0824)85-2628
お食事処えのきや
電話(0824)85-2929
休暇村吾妻山
電話(0824)85-23311
1泊2食:7,500円〜
比和町の文化財
八人塚(無・史跡)
吾妻山備北層群(町指定・天然記念物)
比婆山のブナ純林(国指定・天然記念物)
慶雲寺シラカシ林(町指定・天然記念物)
首なし地蔵(無・伝説伝承地)
聖岩(無・伝説伝承地)
三河内氏墓(無・史跡)
一本松古墳(無・史跡)
こぶ観音(無・伝説伝承地)
三河内御大師さん(無・史跡)
吾妻山カンナ残丘・カンナ遺溝(町指定・史跡)
古家真屋敷跡(町・史跡)
砂鉄選鉱場跡(無・史跡)
荒木家住宅(国指定・重要文化財)
三子山城史跡(無・史跡)
錦山城史跡(無・史跡)
清正公下りずの太鼓(無・伝説伝承地)
あづま蔓発祥地(無・史跡)
森脇八幡宮社叢(無・天然記念物)
森脇豊前元定墓(無・史跡)
亀井美濃守史跡(無・史跡)
山上山(無・伝説伝承地)
赤子岩(無・伝説伝承地)
比婆斎庭神楽(県指定・無形民俗文化財)
卍山前禅師自画像(町・重要文化財)
比和牛供養田植(県指定・無形民俗文化財)
三河内刀踊り・扇踊り(町指定・無形民俗文化財)
庄原市比和総合運動公園
福田頭の麓にあり、抜群の眺望が自慢の総合運動公園では、野球場、多目的広場、ゲートボールば、テニスコート、と体育館があり、屋内外の各種スポーツを楽しむことができます。
また、和風の宿泊研修施設「かさべるで」とキャンプ感覚の「コテージ棟」で宿泊ができます。
三河内地域に伝わり、刀踊りは祈りの踊り、扇踊りは祝賀の踊りとして伝承され踊り継がれています。現在は五穀豊穣・牛馬繁栄の祈願と、豊作を感謝し、慶雲寺・八幡神社の境内で奉納の踊りとして伝承されています。
信仰と音楽と労働を要素とする大がかりな神仏混合の儀式田植えで、神降ろしの曲として「大拍子」を伝承していることに大きな特徴があります。
比和町・高野町の荒神社において7年目又は13年目に奉納される年番神楽を中心に、氏神社に奉納される七座神楽など盛大に行われる。舞人がすべて神職であり、「清めの舞」「能舞」に大きく分けられる。舞は素朴で、歌詞も古い形をとどめ、出雲神楽の古い特色をよく保っています。
寛永13年(1636)古頃村に生まれ、7歳の頃より曹洞宗のお寺で修行を行い、のちに京都にお寺を建てるほどの優れた僧侶となった。生家の藤井家には3幅の自画像が掛け軸として保存されています。
もともと三尺ばかり(90cm)であったものが年々大きくなり、高さ1丈4尺(4.2m)周囲2丈(6m)あまりとなったと伝えられ、次第に成長していくことから「赤子岩」と名づけられたのではないかと言われています。
高さ4丈あまり(約12m)、滝のそばに観音堂があり、古くから信仰の地であり名前も仏教用語の「三浄」からきているのではないかといわれています。
宝暦12年(1762年)、飢饉に苦しむ村人を助けるため「藩の兵糧倉」を無断で開いた罪により処刑された亀井三濃守藤原清綱の墓と石碑があります。
19世紀中頃、岩倉六衛門により和牛の改良が行われ、広島牛の基礎といわれる「あずま蔓」を育てた。墓石や、倉などには牛にちなんだ模様が刻まれています。
17世紀末(江戸時代初期)に建てられた民家。森脇八幡宮の神官の家。部屋は5つあり、神官の家の特徴でもある「たかま」がある。牛を飼育するための「だや」、農作業をする「土間」などもある。柱は「ちょうな」と呼ばれる道具でけずりだされたものが使われている。桁行20.6m、梁間10.9m、入母屋造、茅葺き。
神殿周辺部と境内に、杉やイチイ・ケヤキ・トチなどの巨木による広い
社叢(神社の森)があります。
たたら製鉄の盛んな頃、森脇地区の元締めとして権力をふるった古家真家の住宅跡で「山止め」「水の手」「大手」などの緻密な石垣を残しています。
永昌寺内にあり、錦山城城主、森脇豊前元定の墓。
嘉永5年(1852年)前中間周右衛門が客殿を作るとき2階に神殿を作り、熊本より加藤清正公のご神体を勧請した。1本の材木から作り上げた神殿と2階から下せない(屋根を壊さない限り持ち出せない)太鼓があります。
砂鉄と砂泥を比重法によって選別するために作られた溝。最終的精選(キヨメ)をする場所は、水平に近い緩傾斜となっています。
14世紀頃の城跡。東西20間(36m)、南北11間(20m)の城であったと伝えられる。森脇豊前元定、同三十郎、同市正、三世が居城し、その後湯浅肥前広吉、同織部正が居城したといわれています。
滝の観音(無・伝説伝承地)
18世紀、たたら製鉄のさい、砂鉄の採集を行うために鍬やつるはしで崩されて残った山の跡や、人工的に作られた水路が残っています。
吾妻山に登る林道沿いにあります。海底にあった角の取れた石の堆積が見られる地層。今から2500万年前には吾妻山の周辺が瀬戸内海の底だったことを物語っています。
麓から峰まで約9丁(1km)。16世紀頃に山内家人、三河内道忠
同道高の2代が居城したとされています。
6世紀頃の豪族の墓と考えられる。横穴式古墳で、中から高杯や壷などの須恵器、鉄の剣などが出てきています。
慶雲寺境内にあり、三子山城主、三河内道忠、同道高の2代の墓。
比婆山の山頂にある岩と関係があるとされ、「神によって投げられたものである」とか、「年々いじりながら(後ずさりしながら)山から下りている」とか言われ神聖なものと信じられています。
高さ5丈あまり(15m)、そばに観音堂がある事から、「滝の観音」
と呼ばれるようになったと言われています。
勝光山慶雲寺の裏山に根本周囲3.8mをはじめとするシラカシが林を作っており、県内に自生する林としては北限に位置します。
越原地区に嫁いでくるとき、地元の人たちが、いつまでも腰を据えてほしいと嫁ぎ先にこの地蔵を持っていったといわれています。
天保2年(1831年)に勧請し、元治元年(1864年)に整理した。盆踊りとの関係も深く、八十八ヵ所でありながら、八十九の大師信仰がある。この地方ではもっとも古い勧請であると言われています。
できものや腫れ物にご利益があるとされている。お参りするときには松などにできたコブをお供えすると良いといわれ、お堂の中には多くのコブが供えられています。
比婆山は神の宿る山として昔から大切にされており、頂上部から山腹一帯、約23haの区域にブナ林が茂っていて、老木もありきれいな純林を作っています。
江戸末期、砂鉄を採集するため雨の中で8人が作業をしていたところへ突然山が崩れ生き埋めとなった。それ以後、雨が降るたびに8人が亡霊となってあらわれ、それを供養するために建てられた石碑です。
古くは「古事記」にも登場する比婆山、その裾野に位置する比和町は、
豊かな自然と先人たちの知恵を脈々と受け継いできました。それらに係る様々な遺跡や伝説の地を訪ねてみませんか。
福田頭一の滝
福田頭三の滝
福田頭二の滝
福田頭登山口
博物館の詳細ページは左の写真のどちらかをクリックしてください。